AFPの「徒歩通勤33キロの男性救済募金に2000万円超、米国」という記事を読んで、つい「???」と思ってしまった。
AFPニュースざっくりと要約すると以下のとおりである。
○ミシガン州デトロイトのある男性は、使用していた自動車が壊れて以来、10年以上職場までの33キロを毎日歩いて通勤している。
○彼は、時給10ドル55セント(約1240円)で働いており、新車を買うことができない。
○これを知ったある学生が、クラウドファンディングを通じて8000人以上の人達から、20万ドル(約2350万円)以上の募金を集めた。まず、「職場までの33キロ」というのが気になる。
この表現では「片道33キロ」とも受け取れるが、よもやそれはないだろう。
というのも、33キロは時速5キロで歩いても片道6時間半要するため、往復では13時間を越えてしまうので、8時間寝れば働く時間が無くなってしまう。
従って、これは往復で33キロと解釈するのが妥当と思われる。
それでも片道16.5キロもある。
それを3時間以上かけて毎日通勤する。
なんて健康的なのであろうか。
私のアメリカ人へのイメージは、大量の飲食によるデブという概念を超えたデブが多い、というものである。
が、大勢の人の好意がかえって仇になってしまうのではないか、今までの健康的な生活をだめにしてしまうのではないか、と懸念する。
そして、「飢えた人には魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という老子の話があるが、その趣旨からしてもこの寄付というのはアメリカらしい話ではあるものの疑問が残る。
車はいずれ壊れるし、もっとよい就職先を紹介するというのが、本当の親切かもしれない。
健康は2000万円でも買えない。
しかし、「これで車を買えよ」と、目の前に2000万円出されたら、誰でも喜んで貰ってしまうだろう。
私も間違い無く貰う。そして、車を買う。
それにしても、いくら時給が安くとも10年以上継続して働いているのであるから、自動車は無理でも自転車ぐらいは買えるのではないか。
アメリカでは、自転車なのは全く考慮の対象外なのか。
と、ここまで書いてきて、やっぱり片道33キロ歩いているのが正しいのかもしれないと思い直した。
だから、働く時間が短いので収入が少ない、とこういうことなんだろう。
だから車をプレゼントするからもっと働けということなのだろうか。
よくわからない。
アメリカの人は、困っている一人の人に大勢の人が援助するという、こういうのが好きなようでよくテレビで見る。
しかし、このようなことを拡大したのが福祉であると思うのだが、国として行う健康保険のような制度はあまり好きではないようである。
貧困で病院にも行けない人が大勢いるだろうに、こういうアメリカ人の価値観はよくわからない。
私の友人にも、職場まで毎日片道6キロ、往復12キロ歩いて通勤している人がいる。
彼は常々「歩くと発泡酒がビールの味になる。歩くのが酒をうまく飲むこつだ。」と言っていた。
先日、その友人と飲んだ時に彼がこんなことを言っていた。
「股関節を痛めてしまった。病院に行って診察をしてもらったら、医者から『歩き過ぎだよ、過ぎたるはなお及ばざるが如し、だ』と言われた。それで今はバスで通勤しているから酒が旨くない.。」
なかなか難しいものである。