渋谷のユーロスペースで、映画「ハーメルン」を見てきた。
ユーロスペースに行ったのは、一体何年振りか。
東横線が地下に入って以降初めての渋谷で、まずは地下で右往左往。
そして、ユーロスペースへは、昔のいい加減な記憶を頼りにろくろく調べもせずに行き、ホテル街をさんざん迷ってしまった。
窓口で切符を求めると、係りの若い女性は何も聞かずにシルバー料金にしてくれた。
まあ、どっから見てもシルバーなんだけど、割引で嬉しいやら嬉しくないやら。

ロビー

観客は、中高年のみ。
若い人は誰もいない。
さて、この映画は福島県大沼郡昭和村の、今では廃校になっている「喰丸小学校」で撮影されたものである。
上映が開始され、喰丸小学校が写った場面、或いは元校長が校歌を歌う場面などで、押し殺したようなざわめきを聞くと、観客に卒業生が居たのかもしれない。
映画の内容を拙い私の文章で紹介しても仕方がないので、公式サイトを是非ご覧いただきたい。
公式サイトはこちら大変映像が美しい。
奥会津の秋の美しさが余すことなく映されている。
そして、雪の中の葬儀の模様。
なんとも郷愁を感じる光景である。
パンフレットに坪川監督が「ハーメルンノート」という欄で映画が完成するまでの経緯を書いているが、これが結構面白いので、少し長くなるが紹介したい。
パンフレット表紙

以下「ハーメルンノート」からの要約だが、年表風に整理してみる。
【2008年秋】
何年も前に見つけて壁に貼った「二階建て木造校舎」の写真を見ながら「ハーメルン」を書き上げる。
そして、銀杏の大木がある木造校舎という映画の撮影に相応しい場所を探すため全国各地60カ所以上回るが見つからず。
【2008年の暮】
情報が入り雪をかき分け昭和村に行ったら、何と壁に貼ってあった写真と同じ場所であった。
大喜びしたが、案内の人から春に解体するという話を聞かされる。
ここから昭和村に通いつめ、役場の人を説得し、2009年に撮影を完了させるという条件の下、解体を延期してもらう。
【2009年夏】
撮影に入ったが思うように進まず、各方面に頭を下げ1年延期をしてもらう。
【2010年春】
福島県に撮影応援団ができ募金や劇中で使う2万羽の折鶴を集める活動がスタート。
【2010年7月】
たまた撮影地の元小学校に立ち寄った際、車いすのおばあさんとそれを押す女性三人にあう。
車いすのおばあさんはこの小学校の元教師で95歳、そしてその娘さんと孫二人。
まるで映画の場面のような光景。
車いすを押していた女性の息子さんが映画関係者とのことで、縁によりその後プロジューサー就任。
昭和村の血が入っているプロジューサー誕生。
【2010年10月】
夏から再度撮影に入ったが、他の銀杏の木は色づいてもどういうわけか校庭の銀杏だけは黄色にならない。
そして葉が青いまま、季節外れの突然の大雪で葉が落ちてしまい、またしても撮影の延期。
【2011年3月】
東日本大震災発生。
【2011年10月】
この年の銀杏は機嫌がよく10日で秋の撮影終了。
雨が降ったのは、銀杏の下で行う祭りのシーンの撮影時のみで、映画でも実際の天気に合わせて祭りを校内で行うことにした。
【2012年3月】
冬の撮影シーンで、福島県内のみならず全国から集まった10万羽の折鶴使用。
【2013年春】
映画完成。
【2013年7月】
昭和村でのお披露目上映会での際、一人の中学生が駆け寄り恥ずかしそうに「小学生の僕を素敵な映画に残してくれて、本当にありがとうございました。」と言われ必死に涙を堪える。
ど素人が余計なことを一つ。
倍賞千恵子さんが元喰丸小学校教師の母を介護する役での出演だが、えっと思うぐらい老けて見えた。
小学校の卒業生の野田(西島英俊)が40歳前後の設定として、それを教えた元教師の母親綾子(風見章子)は80歳前後となる。(定年間際で教えたとすれば、90歳でもおかしくはないけども。)
とすれば、その娘は50歳前後が妥当で、無理しても60歳だろう。
倍賞千恵子さんは、どうにもその程度の年齢に見えなくて・・・。
以前ならこんなことなかったのに、誰しも時間には抗えない。
もう少し若い人、例えば宮崎美子とか風吹ジュンとかでもよかった。
ん? 「八重の桜」になっちゃうか。