夜行の高速バスにより、10日、11日の一泊二日で、会津の実家に娘と二人で帰省した。
それにしても今年の猛暑はすさまじい。
会津なら涼しいかと期待していたが、完全に裏切られた。
昼間はどんなに暑くとも、夜には涼しい風が吹く、というのがこれまでのイメージであった。
しかし、夜になっても暑くて、寝苦しかった。
早朝の朝靄の風景。
涼しそうに見えるだけで、ちっとも涼しくない。

さて、娘にとっては、中学生以来の四年ぶりの会津である。
夕食は実家の恒例である屋外でのバーベキューだが、その時に義姉から「なんてあなたは幸せな人でしょう。」と言われた。
なんのことかと思いきや、「だって年頃の娘がお父さんと二人で旅行するなんてありえない。うちの娘(私の姪)なんか、臭いといってお父さん(私の兄)の傍にも近寄らない。若い女の子なんかそれが普通。」
確かに、わが娘は優しい性格ではあるが、例えば「ディズニィーランドに一緒に行こうか」と誘ったとしても「はい」と返事をするわけがない。
まだ試したことはないが、聞くまでも無い。
『火を見るより明らか』というやつである。
では、どうして今回一緒に来たのか、ということになるが、『我が実家の人達、村のご近所の皆様、会津の風景などが好きだから』だと私は推測している。
これまで帰省の度に受けた親切、厚意の積み重ねが、会津が好き、会津に行きたい、という感情に繋がっている。
これは、間違いない。
我が息子も全く同じで、会津にはいつも行きたがる。
今回は同行させなかったが、妻と息子も連れて行ってもよかったかなと後悔している。
会津の皆様には、お礼を申し上げるほかはない。
感謝、感謝、感謝。
さて、父は孫娘が来るのを待ちわびていた。
というのも、娘が1~2ヶ月に一度出している葉書の礼を言いたいから連れて来て欲しいと、前から懇願されていたからだ。
この経緯は、長くなるので前に書いたこちらを参照いただきたい。
娘の葉書父は家の奥から娘の書いた葉書の束を取り出してきた。
それはきちんと、日付順に整理されていた。
そこには私も見たことが無い、変わった形状の手紙や、奇抜なクリスマスカードもあった。
おまけに、「おじいちゃんへ 何も書くことがありません」と一行記載された息子の葉書もあった。
娘が、弟に「お前も書け」と書かせたが、これしか書かなかったとのこと。
父の耳が遠いのと、娘が父の会津弁を完全には理解できないのとで、なかなか話はかみ合わないが、それでも二人で楽しそうに葉書を見ていた。
そして父は何度も礼を言った。
脳梗塞で右手が思うように動ないので、返事が書けないことも何度も詫びていた。
父は「もうこれだけ葉書をもらったから十分だ」というようなことを言ったが、娘は「これからもずうーと葉書は書くから。今度中国人の留学生と韓国に旅行に行くから、そこから出すね。」と答えていた。
「もういい」とは言いつつも、娘の答えには、父も嬉しそうではあった。
また、娘も祖父が思いのほか喜んでくれていたことに、嬉しそうであった。
娘にとって、もう一つ嬉しいできごとは、私の同級生エンピロさんの娘さんと意気投合したことである。
10日の夕食と、11日の昼食を共にし、大いに盛り上がっていた。
若い女の子二人のキャピキャピとした話で、内容はよくわからない。
二人は、小さい頃には少し遊んだこともあるが、事実上初対面である。
なのに、こうも盛り上がれるものかと不思議な感じがした。
最後に、お盆らしい話を一つ。
一昨日の夕食後に娘が言っていた話である。
「会津でお父さんと部屋で寝ていた時、おばあちゃんが入ってきた気がした」
「何にも言っていなかったけど、よく来たねって笑っている感じ」
「おばあちゃんは、横浜には来ないよ、おじいちゃんが心配だから会津の家から離れないよ」
私も明け方に妙な感じがして目が覚めた。
しかし、エンピロさんと深酒をしたことによる気持ち悪さが原因かと思っていた。
お盆だから、母やご先祖様が出て来てもおかしくはないか。
つづく