ここからがいよいよ本題になるのだが、やっぱり気が重いところがあり、余計なことは書かずに写真中心とする。
なお、どこの被災地にも観光バスなどでかなりの数の観光客が来ていた。
他人の不幸を見に来たという後ろめたさの反面、こうして現地を見ることにより災害対策への戒めとできる、被災地への多少なりともの支援ができる、などの言い訳もしつつ見に来た我らも同じであるが。
【陸前高田市】市役所前にて。
陸前高田はまさしく壊滅。
声も出ない。
瓦礫もまだそのへんに放置。
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VPS市役所の入り口付近には祭壇が設置されていた。










市の中心地であり、数多くの建物があったであろうが、今では雑草が生え全くその面影がない。

スーパーと思われる建物。




陸前高田駅前。

駅のホーム。線路はない。
数多くの別れと出会いがあったことと思う。

被災地で立小便をする不心得者。

フレコンパック製の土嚢で仮復旧した橋。
このような橋があちらこちらに見かけられた。

有名になった奇跡の一本松。
残念ながら遠目にも明らかに枯れていた。
【気仙沼市】鹿折唐桑駅付近。
このあたりは湾の一番奥にあたり、津波が直撃したものと思われる。
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VPS
この第18共徳丸は、全長約60m、重量330tとのことである。

人の背丈と比べるとこの船の大きさがよくわかる。
ここにも祭壇が設置されていたが、正面からの写真は撮る気にならなかった。

このように花が置かれたところは、海岸線を走っていて数多くあった。

手前は跡形も無いが、奥の少し高い地域は全くの無傷。

錆付いた大船渡線。

津波とは関係がないが、何故かガードレールのため渡れなくなった橋。


ホテルの窓から撮影。
ホテルは、少し高台にあり、津波の直撃は免れたようである。


全体としてみた場合、気仙沼は、少しずつではあるが復興が始まっているようである。
再建されたと思われる建物も散見された。
そして、気仙沼港には県外から数多くの漁船が来ていた。
カツオの一本釣りのとのことである。
乗組員はやたらと外人が多い。

仮設の復興屋台村。



夜、この屋台村の「男子厨房 海の家」で飲んだのだが、最高に楽しいひと時であった。
お店の皆さんは大変な被災に遭われたにも関わらず明るくもてなしてもらった。
それに、料理は新鮮で旨いし、地酒も旨い。おまけに値段も安い。
我々一同芸はあまりないが、飲むことはだけは結構うるさいのだが、掛け値なしの高評価。
参照:男子厨房 海の家

この後二軒目のラーメン屋さん「あたみ屋」に行った。
参照:あたみ屋飲んだ後でのこともあり、「ラーメン二杯を頼むから、それを四杯に分けてくれ」という酔っ払いのひどい注文にも快く応じてくれた。
このラーメンも最高に旨かった。
ただこちらが酔いすぎて写真をうまく撮れず、また話の内容もろくろく記憶にない。
我々が最も気にしていた「被災地に観光に行って被災者はどう思うのか」という質問にも「もっと来て下さい。被災地を忘れないでください。」と。
なお、宿泊先は、サンマリン気仙沼ホテル観洋である。
大きな高級ホテルであり温泉もあるが、バイキングスタイルの朝食付きで7000円と破格の値段である。
にもかかわらず、宿泊客は我々のほかには2組程度のみであった。
まだまだ厳しそうである。
参照:気仙沼ホテル観洋