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メイの家

Author:メイの家
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【石巻】

大惨事となった大川小学校。

ここでは、皆、口を開く者が居なかった。
重すぎで、悲しすぎて、せつなすぎて。
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裏山に登っていれば、という報道が沢山あったが、一人や二人ならいざ知らず、百人もの子供を連れてこの道も無い斜面を登ることは不可能だろう。
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子供達の卒業制作。
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祭壇に飾られていた写真を撮影。以前はこんな風景だったのだが。
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復旧工事中の石ノ森章太郎萬画館。
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わかり難いが橋の欄干が壊れている。
意外なことに石巻市内は、津波が本当に来たのか、と思われるほど復旧していた。
浸水はしても、直撃、という感じではなかったのかもしれない。
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【松島】
松島はぼ復旧済み。
昔と変わりない。
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瑞巌寺参道。津波はここには到達したのかどうかの痕跡も無い。
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「修理工事中で国宝は見せないが、特別にいつもは見せないところを見せる」とのこと。
一同、金を払ってまで見ることなし、との意見で一致し、中には入らずUターン。
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どうでもいいことだが、小学校の修学旅行の時に左側の店でお土産を買った。
そのお土産は貝細工で、今も実家に置いてある。
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わかり難いが、<松島復興ギャラリー>の文字の下まで、津波が来たとのことである。
約180センチ。
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【蛇足】
帰りの車中から撮影。
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最後に一緒に行ってくれたメンバーを紹介したい。

若い順に。

【となりのじろろ】さん
川崎生まれ横浜在住。私より六歳若い。時々このブログにコメントしてくれている。仕事は金融関係。毎度車の運転をお願いしている。何せ他の三人は、白内障、免許無し、ペーパードライバーでいずれも運転がダメ。IT、パソコン関係も強く本も何冊か出版しているらしいが、私は読んだことも買ったこともない。

【海】さん
東京生まれ横須賀在住。仕事は演劇関係。早生まれなので正確には私より一歳若いが、学年は同じなので年も同じということにしている。7~8年前に彼の依頼で、我が家族四人でテレビ出演したことがある。ちなみに、その時彼も通行人役で突然の出演。そのビデオは今では家族の家宝となっている。

【岩】さん
横浜生まれ横浜在住。仕事は調査・コンサル関係。なんと私より数日年上の同い年。私の誕生日はかなり早いので、私より上というのは珍しい。仕事柄、調査関係が得意なので、酒を飲んでうかつに知ったかぶりをすると、直ぐにスマホで調べ裏を取られてしまう。被災地へ行った反省会の日(昨日)、切符が売れなくて困っていた【海】さんから率先して切符買っていた。私はまだ買っていない。
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DATE: CATEGORY:イベント
被災地に行くシリーズの続き。

この標識は至る所でみかけたが、結構新しいので震災後に設置されたものだろうか。
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気仙沼のはずれあたりで、リヤカーに富士山を積んで歩いていた人を発見。
「日本のてっぺんに夢を届けます!! 2012.8.24富士山頂上に大集合」
と書いてある。
検索すると動画も沢山アップされているし、ホームページもあった。
「元気玉」を作るんだって。
結局のところ私にはよくわからなかった。
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【陸前小泉】

ここも壊滅。
駅前広場、駅、鉄道、すべて原形をとどめていない。
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気仙沼線。
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地図を見ると中央奥から左側あたりが街であったようである。
地図には、幼稚園、小学校があるが・・・・。
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【歌津】
ここも壊滅。
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バイパスの橋脚だけが残っている。
路面の部分は海の中か、瓦礫となったか。
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【南三陸町】
防災対策庁舎。
テレビで見たときは、もっと海に近いところにあるのかと思った。
海はかなり離れていた。約一キロぐらいか。
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祭壇では女性の団体が、般若心経と御詠歌を唱えていた。
とてもせつない。
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志津川病院は静かに取り壊されつつある。
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DATE: CATEGORY:イベント
ここからがいよいよ本題になるのだが、やっぱり気が重いところがあり、余計なことは書かずに写真中心とする。


なお、どこの被災地にも観光バスなどでかなりの数の観光客が来ていた。

他人の不幸を見に来たという後ろめたさの反面、こうして現地を見ることにより災害対策への戒めとできる、被災地への多少なりともの支援ができる、などの言い訳もしつつ見に来た我らも同じであるが。


【陸前高田市】

市役所前にて。

陸前高田はまさしく壊滅。

声も出ない。

瓦礫もまだそのへんに放置。

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市役所の入り口付近には祭壇が設置されていた。
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市の中心地であり、数多くの建物があったであろうが、今では雑草が生え全くその面影がない。
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スーパーと思われる建物。
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陸前高田駅前。
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駅のホーム。線路はない。
数多くの別れと出会いがあったことと思う。
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被災地で立小便をする不心得者。
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フレコンパック製の土嚢で仮復旧した橋。
このような橋があちらこちらに見かけられた。

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有名になった奇跡の一本松。
残念ながら遠目にも明らかに枯れていた。
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【気仙沼市】

鹿折唐桑駅付近。

このあたりは湾の一番奥にあたり、津波が直撃したものと思われる。

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この第18共徳丸は、全長約60m、重量330tとのことである。
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人の背丈と比べるとこの船の大きさがよくわかる。

ここにも祭壇が設置されていたが、正面からの写真は撮る気にならなかった。
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このように花が置かれたところは、海岸線を走っていて数多くあった。
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手前は跡形も無いが、奥の少し高い地域は全くの無傷。
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錆付いた大船渡線。
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津波とは関係がないが、何故かガードレールのため渡れなくなった橋。
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ホテルの窓から撮影。
ホテルは、少し高台にあり、津波の直撃は免れたようである。
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全体としてみた場合、気仙沼は、少しずつではあるが復興が始まっているようである。
再建されたと思われる建物も散見された。

そして、気仙沼港には県外から数多くの漁船が来ていた。
カツオの一本釣りのとのことである。
乗組員はやたらと外人が多い。
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仮設の復興屋台村。


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夜、この屋台村の「男子厨房 海の家」で飲んだのだが、最高に楽しいひと時であった。

お店の皆さんは大変な被災に遭われたにも関わらず明るくもてなしてもらった。

それに、料理は新鮮で旨いし、地酒も旨い。おまけに値段も安い。

我々一同芸はあまりないが、飲むことはだけは結構うるさいのだが、掛け値なしの高評価。

参照:男子厨房 海の家

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この後二軒目のラーメン屋さん「あたみ屋」に行った。

参照:あたみ屋


飲んだ後でのこともあり、「ラーメン二杯を頼むから、それを四杯に分けてくれ」という酔っ払いのひどい注文にも快く応じてくれた。

このラーメンも最高に旨かった。

ただこちらが酔いすぎて写真をうまく撮れず、また話の内容もろくろく記憶にない。



我々が最も気にしていた「被災地に観光に行って被災者はどう思うのか」という質問にも「もっと来て下さい。被災地を忘れないでください。」と。





なお、宿泊先は、サンマリン気仙沼ホテル観洋である。

大きな高級ホテルであり温泉もあるが、バイキングスタイルの朝食付きで7000円と破格の値段である。

にもかかわらず、宿泊客は我々のほかには2組程度のみであった。

まだまだ厳しそうである。
参照:気仙沼ホテル観洋

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DATE: CATEGORY:イベント
7月15日から17日まで昨年に続き、百聞は一見にしかずということで、今年も被災地を見に行ってきた。

場所は、岩手と宮城の海岸線。

メンバーは前回と同じで私を入れて四人。

当初は二泊三日の予定であったが、メンバーの一人「海さん」が15日(日)に仕事が入ったため、夜7時出発となり、二泊二日となった。


三連休中日の夜7時出発(横須賀)なので、高速は空いているかと思ったが、横横や外環はやっぱり混んでいた。

うんざり。

仙台に着いたのは朝1時。

カプセルホテルに泊まる。

私はカプセルホテル初体験であった。

朝1時にもかかわらず、仙台は人通りが絶えず、ホスト系、ホステス系の若い人たちが闊歩。

仙台って大都会だなあ、と一同妙なことに感心。




この日は朝7時にホテルを出て、途中のSAで朝食をとり、まず世界遺産の平泉へ。

中尊寺入り口。
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遠くに見える衣川。天気はあまりよくない。
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境内のお店に居た猫。

最近こういうのが多い。
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正直言って、中尊寺で一番驚いたのがこれ。
金色堂の拝観券売り場の直ぐそばにあった。
どんどんお金を使ってくれってか。
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中尊寺を出る頃には陽がさしてきた。
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衣川にかかる橋の上から中尊寺方面を見る。
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これも衣川にかかる橋の上から。
茶色の作物は何だろうか。うまいものである。
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毛越寺、無量光院跡など他にも行きたかったが、時間がないので中尊寺だけを、それも駆け足で見た。

少し心残りではある。
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DATE: CATEGORY:夢の話
気温は高いし雨が降って湿度は高いし、うっとうしい事この上ない。

こんな時は、風呂が一番、ということで朝風呂。

夏の暑いときでも、冬の寒い乾燥したときでも、風呂に入るとスッキリ。

なんとも不思議。


あー日本に生まれてよかった。



と、ここから妄想が始まる。





外国じゃ風呂というか、湯船に漬かる習慣がない所もある。





かつては、車は先進国の一部の人の乗り物だったわけだが、今では地球上に車が走っていない所はない。

その便利さが車を増やした。

で、原油は需要が増加し値段が高騰。




風呂だって、この快適さが世界中の世界中の人に知られれば、みんな欲しくなるんじゃなかろうか。

熱帯雨林に住む人だって、砂漠に住む人だって、寒冷地帯に住む人だって、一度風呂を味わえば病み付きになるはず。

車と同じように。



そこでまず、水道を整備してあげる。

そして、風呂を教えてあげる。




が、水が無いところはどうする?







二十世紀は石油の世紀。

二十一世紀は水の世紀。

誰が言ったか知らないが、うまいことを言う。


海水を淡水にしている国もあるが、これには巨大な電気エネルギーがいる。

まあ、原発乃至は火力発電とセットものらしい。

豊かな国はいいが、そうでないところは厳しい。




そこで、水をタンカーに詰めてジャンジャン輸出。

日本の水は、良質。

昔から、赤道を越えても腐らない、という評判があった。




水の値段が原油やワインより高い国は結構ある。

日本の場合、原材料は大量に空から降ってくる。

九州では、今、洪水で溢れている。



いつか、オイルマネーならぬ水マネーで日本中沸き返る。

医療費タダに、年金も大幅増額、消費税はゼロに。




あーしょうもない妄想。

以上終了。


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DATE: CATEGORY:イベント
7月1日高校の同窓会に行ってきた。

二次会での話である。



言葉の話になった。

我々が会津から出てきて数十年、相変わらず標準語に苦労しているという話になった。

私は、今もって頭の中で一旦標準語に変換しないとうまくしゃべれない、特にプレゼンなど公式の場、大勢の人がいる場などではそうである、というようことを言った。



これを受けてA氏。

「どうだ、俺の話している言葉を聴いてみろ。

標準語はスムーズに話せるし、全く気にならない。

そんな変換なんてことはしてない。


ところがだよ。

学生の出席を取っていると学生が笑うんだよ。

鈴木なんとか、佐藤なんとか、と順番に読み上げていくだけなんだけとな。

『何がおかしいのか』と聞いてみると、『氏名の呼び方のアクセントだ』というんだな。

直そうと思って何度かきいたんだが、さっぱりわからなかった。

標準語は完璧だと思っていたんだけどなー。

会津はアクセント無地帯だけに、悪戦苦闘だな。」




確かにA氏のしゃべりは完璧である。

仮にA氏を知らずに、仕事の打ち合わせなどをしたとしても、私は彼が会津出身者と思うことはないだろう。

どちらかと言えば、江戸っ子ですか?

と思うぐらい、歯切れがいい。

氏名を読み上げて露見するとは、意外なものである。




これを聞いて女性のBさん。

「私なんか授業そのものでしゃべりを笑われるのよ。

『先生、言葉が変だよ、アクセントが変だよって。』

そしてある時言われたのよ『先生なにじん?』

はぁ?と思って『東北人』とか『福島県人』とか言えばよかったんだけども、

『私は本当は中国人なのよ、私の名前は#%&$#って読むんだよ』

って中国音で言ったみたら、そしたらみんな信じちゃって、

それから私は日本に帰化した中国人になっちゃった。

ハハハ」





いつもながら彼女の話は、ボケ味が効いていて面白い。





そしてC氏。

「国語の教師やっているから一応言葉に対する知識はあるつもりだけど、実践できないよな。

授業でなんかボロボロ、バレバレだよ。

特に感情が入っているときなんか全くダメだね。自分でもわかるよ。」



わが同級生、こんだけ年数が経つのに、皆、言葉は直らないし結構苦労しているらしい。




私も子供からアクセントがおかしいとの指摘はよくされる。

だが、全く直す気もない。

言われていることがよく理解できていない、ということもある。


ただ「お父さんはこっちでしゃべる標準後も、会津でしゃべる会津弁も、どっちも不完全で中途半端」

と息子に言われたときは、「それが現在の俺の立ち位置だよなー」と内心思ったものである。

何時まで経っても神奈川県民にもなりきらず、さりとて福島県民でもないし。



わが同級生も皆似たようなものらしい。

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