とある親しい方が亡くなられた。
木曜日に通夜、金曜日に告別式に家族で参列してきた。
今日は、通夜の時に、お坊さんが話された事を記録しておく。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★故人は大変信仰の篤い方でした。
よく、お父さん、お母さん(喪主からみれば祖父母)のお墓参りにお寺においでになられました。
そんな時のことです。
私は、NHKのある番組が好きでよく見ていました。
するとその番組の終わりに、制作関係者として喪主の○○さんの名前がでていることに気付きました。
そのことを故人にいいますと、大変嬉しそうににっこりと微笑まれました。
決して自慢されているわけではありませんが、何か誇らしげでもありました。
あー、○○さんは、大変な親孝行をしたな、と思いました。
愛の中で母親の愛ほど強いものはないでしょう。
自己犠牲の愛ともいえます。
慈母観音の慈母とはまさに、母そのもののことであります。
私も、三十年前のことですが、母を亡くしました。
その時思ったのは、ああ、これで私を命を掛けて守ってくれる人がいなくなったな、ということです。
しかし、亡くなったとしても、心の中には永遠に生き続けています。
母を思い起こせば、常に我とともにあるということです。
この三十年間、母を思い出さない日は一日もありませんでした。
きっと、母はあの世から見守ってくれており、困ったときには目に見えない形で、助けに来てくれます。
この三十年間、母に助けられた、と思うことが沢山ありました。
ここで、いちいち例をあげることはいたしませんが、感覚としてそう思わざるを得ないことが、度々ありました。
それを証明することはできませんが、ふと、そう思う瞬間が幾度もありました。
喪主の○○さんも、たぶんこれからそういうことがあるでしょう。
心を澄ませばきっとわかります。
通夜というのは、故人と夜を通して語りあうというのが、由来です。
最近は昔のようになかなかそういうこともできなくなりましたが、今日はどうぞゆっくりと心の中で語り合ってください。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★告別式における喪主のあいさつは秀逸であった。
笑いと涙をともに誘った。
さすがだなと思った。
本当は、そちらをここに載せたかった。
しかし残念ながら、極めて個人的な内容を含んでいるので、私がこういうところに書くのは適切ではないと思い、お坊さんの話だけにしておきたい。
故人は、この月曜日に亡くなられたが、私はその前日(先週の日曜日)に、娘は当日の朝に、それぞれ会って話をしている。
まさしく突然の出来事であった。
故人には大変お世話になっており、家族一同、心からご冥福をお祈りいたします。
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