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Author:メイの家
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DATE: CATEGORY:気になるニュース
ネットをいろいろ見ていたら、「ヤシマ作戦」なるものに出合った。

ヤシマ作戦とは、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場したエピソードにちなんだもので、エヴァンゲリオンでは、敵と戦う際に多くの電力を必要とする武器を使うため、日本中が停電になったことに由来するらしい。

ということで、内容としては、今回の地震の関係で電力供給が不足していることに対応するため、ツイッター上で節電を呼びかける運動が広がっており、これを誰かが、「ヤシマ作戦」とネーミングしたようです。

それで、このツイッター上の呼びかけを受けて、「ヤシマ作戦遂行中!」とか「コタツ消しました」などといったつぶやきが相次いでいる、とのことらしい。


面白いこと考えるよなぁ。

それでちょっと応援したくなりました。


サイトとしてはこんなところ。

ヤシマ作戦本部

ヤシマ作戦


また、様々な人が、いろいろな節電ポスターも作っているようです。

節電ポスター



こういう動きというのは、暗い中にも何か明るさを感じます。

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DATE: CATEGORY:気になるニュース
連日これでもかと繰り返された津波の映像と被災者の悲しみにくれる映像は、多少減りつつあるような気がする。

しかし、原発問題は不安は増すはかりである。

それも、農作物の作付け問題に水道水や海水の汚染と問題は拡大の一途であり、事態はさらに悪化している。

この先どうなるんだろう?

どう始末するのだろう?





これ以上不安を煽っても仕方がないが、25日付け新聞の科学欄の片隅に気になることが書いてあった。

ある程度の心構えがあれば、イザというときにもうろたえることが少ないのではないかと思い、記録しておくことにした。


新聞記事の内容は、今回の地震は、869年に起き東北地方を襲った「貞観地震の大津波」によく似ているというものであるが、その前後の状況が書いてある。


記事に若干手を加えて年代順に並べてみる。

841年
伊豆半島の丹那断層で地震
長野県中部で糸魚川・静岡構造線断層帯の一部が活動した可能性がある地震発生

864~866年
富士山が噴火

868年
兵庫県の山崎断層でも地震

869年
貞観地震と大津波

878年
関東南部で地震
海溝型が断層による地震かはっきりしないが、死者多数という記録が残る


880年
中国地方で出雲地震

887年
南海地震
津波で大被害



そしてこの記事は、今回の地震は「千年に一回」の現象かもしれず、今後、東海・東南海・南海地震の同時発生の可能性を示唆していた。



約50年間でこれだけの出来事。

ん~こりゃ大変だなあ~。

本当の恐怖これからだ。




とも思ったが、では過去50年間の地震は、というともっとすごい。

あまりに沢山地震があるので、以下主なもだけ拾ってみる。

1961年
宮崎県沖で地震 - M 7.0、死者2人。
釧路沖で地震 - M 7.2
北美濃地震 - M 7、死者8人。

1962年
十勝沖で地震 - M 7.1。

1963年
択捉島沖で地震 - M 8.1、三陸沿岸で津波。

1964年
新潟地震 - M 7.5、死者26人。

1968年
日向灘地震 - M 7.5、死者1人。
十勝沖地震 - M 7.9、死者・行方不明者52人。

1969年
北海道東方沖地震 - M 7.8。

1973年
根室半島沖地震 - M 7.4、北海道で最大震度 5、津波あり。

1978年
伊豆大島近海地震 - M 7、伊豆大島と神奈川県で最大震度 5、死者25人。

1978年
宮城県沖地震 - M 7.4、宮城県などで最大震度 5、死者28人、津波あり。

1982年
浦河沖地震 - M 7.1、北海道で最大震度 6。

1983年
日本海中部地震 - M 7.7、秋田県で最大震度 5、死者104人。

1993年
釧路沖地震 - M 7.5(旧M 7.8)、北海道釧路市で最大震度 6、死者2人。
北海道南西沖地震 - M 7.8、北海道道央、道南、青森県津軽で最大震度 5、死者・行方不明者230人。奥尻島などに津波。

1994年
北海道東方沖地震 - M 8.2(2001年4月23日改訂・旧M 8.1)、北海道道東で最大震度 6、死者・行方不明者は北方領土で11人。
三陸はるか沖地震 - M 7.6(2001年4月23日改訂・旧M 7.5)、青森県で最大震度 6、死者3人。

1995年
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災) - M 7.3(2001年4月23日改訂・旧M 7.2)、Mw 6.9、兵庫県南部で最大震度 7、死者・行方不明者6,437人。当初は最大震度6だったが、実地検分により7に修正された。

1998年
石垣島南方沖地震 - M 7.7(旧M 7.6)、一時津波警報発令。

2000年
父島近海で地震 - M 7.6、震源の深さ104km、小笠原で震度3。
新島・神津島・三宅島近海で地震 - M 6.5が2回(7月1、30日)、M 6.3が1回(7月15日)、最大震度 6弱の地震を6回観測(7月1、9、15、30日に各1回、8月18日に2回)、死者1人。
約1ヶ月後に三宅島が噴火。地震活動は6月26日から始まった。
鳥取県西部地震 - 本震はM 7.3、鳥取県西部で最大震度 6強。(日野町で震度 7相当を観測)

2003年
宮城県沖で地震(三陸南地震、東北地震) - 本震は M 7.1、岩手県・宮城県で最大震度 6弱。太平洋プレート内の地震。
十勝沖地震 - 本震は M 8.0、北海道で最大震度 6弱、死者2人。同日発生の最大余震もM 7.1、最大震度 6弱。2mを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、後に1人が遺体で発見された。

2004年
9月5日 紀伊半島南東沖地震 - 最も大きい地震は M 7.4、奈良県・和歌山県・三重県で最大震度 5弱。一時津波警報が発令。
新潟県中越地震(新潟県中越大震災) - 本震は M 6.8、新潟県中越地方で最大震度 7。計測震度計で震度7が観測された最初の地震。死者68人。
釧路沖で地震 - 本震はM 7.1、北海道釧路町、弟子屈町などで最大震度 5強、深さ48km。最大余震は4分後のM 6.0。
留萌支庁南部地震 - M 6.1、北海道小平町で最大震度 6弱。

2005年
福岡県西方沖地震 - 本震はM 7.0、福岡県・佐賀県で最大震度 6弱、死者1人。
宮城県南部地震 - M 7.2、宮城県で最大震度 6弱。宮城県沖地震とは別の地震。
三陸沖で地震 - M 7.1、北海道~関東にかけて最大震度 3。大船渡市で最大50cmの津波観測。

2006年
新潟県中越沖地震 - M 6.8、新潟県・長野県で最大震度 6強。柏崎刈羽原子力発電所では震度7相当との試算がある[4][5]が、計測地震計によるものではない。柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害。死者15人。ピンポイントながら最大1mの津波も観測されている。

2008年
岩手・宮城内陸地震 - M 7.2、岩手県・宮城県で最大震度 6強。山崩れや地滑りが多発。死者・行方不明者23人。一関西で観測された4,022ガルがギネス世界記録に認定[6]。
十勝沖で地震 - M 7.1。最大震度は5弱(北海道新冠町、新ひだか町、浦幌町、大樹町)。

2009年
沖縄本島近海で地震 - M 7.2(Mw 7.0)。糸満市で最大震度5弱を観測。負傷者2名。沖縄本島地方に一時津波警報が発令された。南城市で10cmの津波を観測。
父島近海で地震 - M 7.4。父島と母島で最大震度4を観測。小笠原諸島に一時津波警報が発令された。八丈島で最大60cmの津波を観測。



この50年間もいやはやなんともすごい地震の数である。

「千年に一度」ではなく、いつものことなのではないか。

まあ、日本は世界に冠たる地震大国であるし、火山も多い国であるから当然ともいえる。



先のことを心配しても仕方がない。

私としては、備えと心構えは持ちつつも、気楽に生きることとしたい。

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DATE: CATEGORY:日常生活
東北地方太平洋沖地震の被災者の方々には心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。


今回の大震災は、関東大震災、第二次世界大戦の戦禍、阪神淡路大震災などに勝るとも劣らない、歴史に残る大事件である。

遠く離れているとはいえ、この大事件をともに経験した者として、この一週間の生活を記録しておくこととする。

少々長くなる。



○3月11日(金)

その瞬間は、仕事で同僚が運転する車の中にいた。
ラジオがついていて、「地震のようです」という男性アナウンサーの声がしたと思うと、女性アナウンサーが悲鳴をあげはじめた。

異常なゆれが車を揺さぶり走っていられないので、側のあった作業場の駐車場に車を止めさせてもらった。
作業場の人たちも屋外に出てきて、みな不安そうであった。

近くを走る高架式の道路が激しくゆれ、落下するのではないかと思ったほどであった。

場所は、藤沢か茅ヶ崎のあたりであった。


急いで職場に帰り、職場は非常時の緊急体制をとり、設備の点検確認体制に入る。

致命傷はなかったが、一部に不具合が発生しており、その補修回復に明け方までかかった。

仕事の合間を見ながら、家族や実家に電話、メールをするも全く繋がらない。




テレビのニュースは、不気味な火災と津波の様子を流し続けており、なんとも不安な一夜であった。

結局この日は、ほぼ全員が徹夜となり帰宅せず。

もっとも、電車が不通であり帰れる状態ではなかったが。


○3月12日(土)

設備の復旧後は、特にすることも無かったが、本社から被災地への応援を出すという指令がきて、人選を開始。

神戸の時も、新潟中越の時も人を出してはいるが、このような早い時期に出すことにしたのは、極めて異例のことである。

これまでだったら、状況が判明し落ち着き始め4~7日ぐらい経ってからであった。

のんびりしたわが社にしては、珍しいことである。


結局わが職場から5名、他の所から3名、計8名が車4台に資機材を積んで、午後に出発。

私からの餞別として、出発する人たちの食料に、3年前に消費期限が切れた保存食(アルファ米)を沢山持たせた。

なお、わが職場の人達は、災害訓練の際、毎回、消費期限が切れた保存食を食わされており、こういうことに慣れている。

ちなみに、私自身も消費期限が切れた保存食を食べており、味と品質の確認はしている。

旨くはないが、食べられなくはない。ただこれは、新品でも同じ。

この日は、午後5時頃帰宅。




○3月13日(日)

この日は交替で休みを取ることになり、私も休み。

テレビを見ていると憂鬱になるので、日がな一日ガーデニング。
てき面に、花粉症が悪化。
鼻が詰まって夜も眠れず。

なお、昼食時にスーパーに買い物に行ったが、店は電気を落として暗く、また、レジは長蛇の列で、客は殺気立っている。

店の商品棚には、卵、牛乳、カップめん、米、パンなどの食品はほとんど無くなっていた。

異様な雰囲気であった。



○3月14日(月)
集合は朝五時半であったが、4路線を乗り継ぐ遠距離通勤の私にはどう頑張っても無理なので、私だけ六時半集合にしてもらった。

花粉症は、風呂に入ると症状が和らぐので、この日も朝から風呂に入った。
このためニュースも見ずに、四時半頃家を出た。

一路線目、二路線目まではよかったが、三路線目、四路線目は不通の表示で駅が閉鎖されていた。

迂回路線も不通とのことでどうにもならず。あっさりと通勤をあきらめ、職場に電話して了解を求める。

結構ひんしゅくをかったらしい。



後から聞いた話だが、わが職場でも二時間半自転車に乗って通勤、二時間徒歩で通勤、というような人が何人もいたらしい。

私は、全くそんなことは考えても見なかった。


私の職場ではないが、ある友人は、平塚から横浜まで箱根駅伝のコース、復路で言えば八区九区になるが、ママチャリで二時間半かかって通勤したと言っていた。

前からやってみたかったが、権太坂と遊行寺の坂がきつく途中で止め様と思ったほどだった。駅伝ではやっぱりあそこが勝負だ、などとのたまわっていた。

で、この日は家でゴロゴロ。



○3月15日(火)
この日は出張で横浜に行った。

横浜市内に地震被害は無いと思っていたら、案外にあった。

外壁が剥がれ通行止め
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建物の基礎と歩道に段差
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これはもともと?
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電車は、三路線目までは運行し始めたが、四路線目は相変わらず不通のため、通勤は四路線目の出発の駅からバスを利用。

終点まで乗って、そこからさらに三十分程歩かねばならない。

人通りもない不慣れな道を、夜とぼとぼ一人で歩くのはさみしいものである。

この日の帰宅は、十時半ごろ。

家に着くや否や静岡で震度6の地震。
小田原でも震度5。


わが職場のルールでは、私の立場のような者は、この大きさの地震があったときは、即座に職場に行かなければならない。

しかし、これから電車に乗って行くのは無理。

夜勤者に、出勤できない旨を連絡し、寝てしまった。





○3月16日(水)
前日の地震の影響は、なかったとのことであった。

多少の後ろめたさがあったので、一安心。

が、朝から一騒動。

伏線は、昨日のことである。

わが職場では、停電時にも設備を稼動させるために、非常用発電装置を持っており稼動させているが、計画停電のような長い停電は未体験であった。

このまま計画停電が続けば、あと数日で燃料で油が切れてしまう。



調達担当は、あせってあっちのスタンドこっちのスタンド、ついには静岡、山梨の会社にもあたったが、どこも売ってはくれない。

在庫は持っている様子はあるが、売らないとのことのようである。

担当者は、灯油を被災地の暖房用にまわすために、どうも政府による統制が始まっているらしい、との噂をききつけた。

灯油を買うには、政府の許可、それも総理官邸の許可がいるらしい、とのことで、思い余った担当者は、総理官邸へ直接電話した。



それが前日の私が出張中の留守の時のことである。

そして、この日の朝二時に、なんと総理官邸から直接わが職場へ電話があった。

電話にでた夜勤者はビックリしてしまい、あっちへこっちへと電話を回すも深夜でもあり誰もでないので、ついに本社の幹部へ電話を回してしまった。


それで、総理官邸への電話の件が露見し一大騒動に発展。

この日は朝から本社の大幹部から叱責の嵐。


いわゆる噂を真に受ける怖さ体験。

なお、その後灯油は続々と集まり、断るのに一苦労という状態になった。

また、いつだったか、娘の携帯には、千葉のコンビナートの火災により、化学物質の雨が降るというチェーンメールが届いたこともある。

この日の帰宅は夜11時ごろになった。



なお、この日は娘の誕生日であったが、何もしてやれなかった。



○3月17日(木)


この日は、夕方から計画停電であったが、停電の最中に非常用発電装置に異常が発生し、緊急停止してまった。

職場に緊張が走った。

幸運なことに、計画停電が早めに終了したため、ほんの十分程度の停止で大事には至らなかったが、直ぐに設備を修理しなければならない。

専門業者に連絡するも、来てくれるのは明日になるという。

翌日の計画停電は、朝からである。

普段使っていない設備だけに、修理は困難を極めたが深夜になんとか終わった。

わが社の技術陣には、超有名大学の大学院卒が結構いるが、こんなときは、たたき上げのおじさんたちが活躍する。

普段はいいかげんなおじさんたちが、頼もしくみえた。

この日は帰宅は十二時。



○3月18日(金)
大騒ぎした灯油の搬入が始まった。

しかし、これまであまり非常用発電装置を稼動したことがなかった、ということは本格的に灯油を搬入したこともなかったということであり、小型・中型ならともかく、大型のタンクローリーでは敷地に入れないのではないか、という問題が発生。

石油会社によると、一定以上の長いホースは消防法に引っかかるとのことである。

タンクローリーの運転手さんには、ことの事情は話してあったが、場合によっては、塀を壊すことも想定しながら、タンクローリーの到着を待つ。

到着したタンクローリーはそう大きなタイプではなく、また、狭い場所にものの見事に駐車し、事なきを得た。


一社からの供給では不足なので、その後も、別の数社のタンクローリーも来た。

この日の帰宅は九時。





以上が、私のこの一週間の行動である。

イライラしどうしであった。

原因は、地震ではなく花粉症である。

つい家族にも、職場の同僚にも、上司にも当たってしまう。


花粉症は時期がくれば直るが、被災者の苦しみはまだだま続く。

早期の復興と、原発問題の解決を願わずには居られない。



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DATE: CATEGORY:写真
冬場は、空気が澄んで富士山が良く見える。

特に12月と1月が良く見え、毎朝、その姿を見ながら通勤している。

だか2月に入ると、富士山が見える日はめっきりと減り、せいぜい3日に一度ぐらいになる。

そして、3月になると、花粉症で富士山どころではなく、見えていようが見えていまいが、関心がなくなってしまう。


以下、通勤途上の某所からみた富士山。

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昨年11月10日



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昨年12月17日



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今年1月7日



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1月13日



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1月19日

写真はどれも同じようで面白くないが、目に入ってくる本物の富士山は、毎日その姿が微妙に異なり見飽きることがない。

最近日が伸びてきて、朝の通勤時間帯では、富士山が見えてもぼんやりとしか見えない。

それで、もう写真を撮ることもなくなった。

やっぱり、早朝が一番である。
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DATE: CATEGORY:写真
カメラがコンパクトカメラであり、三脚も使わず目一杯ズームしている。

露出もカメラまかせにせず、ちゃんと調整すればいいのだが、つい手を抜いてしまう。

そんなことで、画質も露出もピントも今ひとつであるが、富士山は何度見てもいいし、雲が日々変化して美しい。

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1月20日


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1月26日



2011-3-6-8.jpg
2月1日




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2月2日




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2月3日



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2月3日



2011-3-6-13.jpg
2月22日

夕暮れ時の写真は、天気と湿度の状況、それと帰宅の時間と日没の時間との兼ね合いによるが、これからも多少の期間は撮影できそうである。

ただ、花粉が舞っているのが、なんとも嫌になる。
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