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メイの家

Author:メイの家
横浜市在住


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DATE: CATEGORY:鉄道
5月24日に、「京急 ファミリー鉄道フェスタ2009」に息子と行ってきた。


この日は、かなりの雨で、白くなるほどであった。
こんな雨なので、人出も少ないかと思って家を出たのだが、予想に反して電車は込んでいた。

よく乗客を観察すると、案の定、どうみても鉄道オタク、小さい子供をつれた家族づれであった。
行きの電車の中から異常な盛り上がりかた、、、すれ違う電車の型式談義や、写真の撮影と、こんな雨程度では、鉄ちゃんにはどうってことはないらしい。


京急・久里浜駅は、激しい雨の中、長蛇の列。

無料の送迎バスで会場の久里浜工場に入ると、多少雨は小降りに。


以下は、立派な鉄ちゃんになりつつある息子の写真を借りました。
ブログの記事となるような写真ではありませんが。

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会場で見かけて驚いたのは、電車の部品を購入する人の列。
それも雨の中である。

つり革、天井についていた扇風機、ヘッドライトなんでも売れる。
おまけに、電車のドアを担いで帰る人も見かけた。
すごねぇ。

そんなもの何にするの?

単なる粗大ゴミにしかならないだろうが??

まぁ、好きな人にしかわからない境地なのだろう。

息子は、去年来ていた人が今年も来ていたとか、あの人は一昨年もみかけとか言ってたが、息子もこここ数年、毎年通っている。


帰りは、送迎バスではなくて、会場となる工場の敷地から直接電車に乗って久里浜駅までいく、送迎用の電車に乗ることができた。

これはよかった。駅ではないところから乗ることにちょっとだけ興奮。


でも、体はぬれるし大変疲れました。
が、息子は全く元気で満足してたようなので、OKです。

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DATE: CATEGORY:白内障手術
二年ほど前の健康診断で、これまでと比べて左目の視力の低下が異常であるので、キチンと精密検査をするよう言われていたが、ほったらかしにしていた。
昨年もまた同じことを言われてしまった。

これをふと思い出し、時間がとれたので、眼科に行ってきた。


医師:子供の時に左目を怪我しませんでしたか?
私  :そういえば左目に石があたったことがあります。

医師:白内障ですね子供の時に目を怪我したりすると、中年過ぎに出やすいんですよ。
医師:でも右目も少しですが出てます。まぁ40歳過ぎると、多かれ少なかれ誰でもでます。
医師:この年齢なので仕方ないですね。
私  :はぁ。まぁ。(白内障とは、トホホ、どうしよう)


医師:直したかったら手術です。薬は無いです。でもこの程度ではまだ手術する人はいないでしょうけど、どうしますか?
私  :いや、手術はチョッと、、、。

医師:どこまで我慢できるかですね。我慢できなくなったらその時が手術です。
私  :はい、できるだけ我慢します。
医師:いやそんなに我慢しなくてもいいんだけど。


医師:進行する場合もあるので3ケ月に一度は検診してください。
私  :えぇ。(そりゃ無理だよ、ここに来るまで2年もかかったのに)


医師:コンタクトの度数を上げるともっと視力が出ますよ。でも、そうすると手元とが見えないでしょう、老眼だから。
私  :そうなんですよ。度は上げられるんですが、書類が見えなくなってしまい仕事にならないんです。

医師:まぁ年だからしょうがないね。
私  :ええ、まぁそのとおりで。(そんなに、年、年といわなくともいいんじゃないの)


医師:それにしてもコンタクト使いすぎの目をしてるね。12時間以上使っているでしょう。仕事中は仕方ないとしても、家に帰ったら直ぐにはずしてください。
私  :はい。(これも無理だなぁ)


医師:コンタクトも汚れているよ。チャンと洗っている?
私  :一応は。

医師:ゴシゴシとこうやって、最低30回は、やらなくっちゃだめです。
私  :はい。(えぇ? 30回は多すぎじゃないの?でもこれだけでもやってみるか)


本日の眼科の精密検査は、こんな風に終わりました。
ちなみに、この医師は私と同年代と推測しました。

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DATE: CATEGORY:転居
引越しネタは、そろそろこれで最後にしたい。

私の人生の中で、もうこれ以上引越しすることはないかも知れないし、記憶はドンドン薄れていくので、これまでの6度引越しをまとめおくことにした。

最初の引越しは、大学生活のために実家を出たときである。

会津若松駅のホームで母に泣かれたのが、今でも忘れられない。
母は、「もう帰ってこないだろうな」とホームで泣きながら言ったのだか、ホントにそうなってしまった。

一方その時私は、結構気楽な気分であり、親の心子知らず、という典型的な状況であった。


①三畳一間の下宿
実家を出て初めて生活をしたのは、三畳一間の下宿であった。

ふとんを敷くと部屋が一杯になってしまう。
当然風呂はないし、トイレは何と汲み取り式であった。

大家さんだか管理人さんだかわからなかったが、祖母と同じぐらいの年齢の女性が住んでおり、私が高熱を出し寝込んだときなど大変親切にしてくれた。

最初は一人暮らしの喜びで、この下宿に何の苦も無かった。

当時実家もボロであり、多少のことには動じなかったが、この下宿は廊下が湿気で抜けそうだったりと、建物があまりにオンボロなことと、やっぱり狭さに耐えかねたことから、やむなく一年半ほどで引っ越した。

この下宿は、グーグルの航空写真で見ると現在では更地になっている。


②四畳半の下宿
ここへの引越しは、リヤカーを借りて行った。距離にして2~3キロメートルぐらいか。

トイレは水洗で、風呂はなかったが、建物は比較的新しかった。

就職先には、寮があったのだが、地方から出てきたものを優先するとし、私の場合は学生時代から横浜に居るので、土地勘があるだろうから自分で住むところを探せと、入寮を拒まれてしまった。

就職してからも、銭湯に行ったのは2~3日に一回であったと思う。
今では朝晩入ってるの当たり前であるが、実は今でも3日ぐらい入らなくても平気である。

しかし、夏は暑かった。
窓が一つしかなく風が抜けない。
畳は焼けて熱くなっているし、到底ふとんでは寝られず、タオルケットのみ敷いて裸でねていた。
熱くて寝られず、悶々とし、夏場はいつもげっそりとしてしまった。

電話もなかった。
特に職場からは、電話を引けと言われていたが、下宿であり無理であった。

学生の後輩もいて楽しかったし、引越しが面倒なこともあり学生の下宿に居つづけたが、大家から「就職したのだからそろそろ出てくれ」と言われ、仕方なく引越しをした。

結局、学生時代の大半と、就職してからの一年半ほど過ごした。


③木造2kアパート
四畳半と六畳に、台所と風呂が付いており、風呂は毎日入るようになった。

ここもボロだった。
強風が吹くとユラユラと揺れ、怖かった。
いつか潰れるだろうと思っていたが、グーグルの航空写真で見るとまだ残っている。

このアパートは、畑に隣接して建っており、風が吹くとすぐに砂埃が入ってくる。
夏場締め切って仕事に行くと、夜帰宅した際、熱くてとても居られない。

部屋の中に盗られる物もないので、仕方なく窓を少し開けていくのだが、すると床がジャリジャリになってしまい閉口したものである。

またある時、寝ようと布団に入ったら、強烈な痛みが首筋に走った。
よく見ると大きなムカデが布団に居た。
その後布団は点検してから寝るようになったのだが、数年後もう一度やられた。
畳の隙間にいた。

転勤で、2時間もかかるところへ何年も通勤もしたが、引越しが面倒なのでやっぱり居続けた。

隣室は、中華料理店を営むご夫婦が住んでおり、よく赤ちゃんが泣く声が聞こえていたのだが、いつままにか中学生になっていた。


あまりにもボロなので、このアパートは、友人からは「ゲゲゲ荘」と呼ばれていたが、ここには結局、結婚するまで十年以上住み続けた。

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DATE: CATEGORY:家族
4日から6日まで、二泊三日で父と兄が我が家に来てくれた。

特に父は体力が落ち、あまり歩けない。よくここまで来てくれたものである。
「もう来れない」と言っていたが、今の体力を考えるとそうかもしれない。

有難かった。うれしかった。

ただただ、感謝、感謝、感謝である。もう何も言葉がない。



兄と三人で酒を飲んだ。
こんな機会は後何度あるのだろうか、あの世の母もここに来ているのだろうか、などと考えていたらついホロリとしてしまった。


6日の朝に、父と兄を車で東京まで送って家に帰ると、家の中は気が抜けたような虚ろな感じがし、シーンと静まり返っていた。

父と兄の存在感の大きさのせいなのだろうか、母が父と兄とともに帰っていったからだろうか。
なんともいえぬ不思議な感じであった。
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DATE: CATEGORY:スポーツニュース
今朝(5月3日)の朝日新聞のスポーツ欄に小さく載っていた。
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小松(オ)が福島県各種功労賞知事表彰を受賞

WBCで中継ぎで1試合に登板し、大会2連覇に貢献したとして出身の福島県から表彰された。
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神奈川県知事が、WBC優勝後に、原監督を東海大相模高校・東海大学出身(神奈川県内にある)だからということで表彰ときも、えぇぇぇと思った。

横浜高校出身の松坂はどうして表彰しないの?  ベイスターズの主砲村田と内川はどうして表彰しないの? ひょっとして巨人ファン? とかいろいろ考えてしまった。


しかし、今回の福島県知事の小松の表彰から比べれば、まだまだ真っ当でありおかしくはない。


1 出たのは予選で、しかも中継ぎ1試合。それで表彰?

2 「各種功労賞」って、まったくありがたみの無いネーミング。なにそれ、って感じ。

3 なんで今頃表彰なの。遅すぎもいいところ。いわゆるお役所仕事?


小松も今頃こんな賞もらっても迷惑なだけだろう。

次回は、是非、大活躍してもっといい賞を堂々と貰って欲しい。


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