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メイの家

Author:メイの家
横浜市在住


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DATE: CATEGORY:スポーツニュース
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カナコロ• 2009/01/22

 45歳。男女を通じ国内最年長のプロボクサー猪崎かずみ(花形)が2月28日、メキシコで女子スーパーフライ級の世界タイトル奪取に挑戦する。

 猪崎が勝つと45歳363日で世界王者となり、ジョージ・フォアマン(米国)の45歳298日を65日も上回る世界最年長の快挙。「夢は世界チャンピオン」という主婦にして2児の母の念願が、一歩ずつ近づいてきた。

◆先駆者として
  スポーツクラブの指導員をしながら、ジム通いを続けてきた。毎日5~10キロのロードワークは欠かさない。女子ボクシング創生期を支えた先駆者。JBCに公認される前、2004年には日本女子ボクシング協会で日本フライ級王座に就いた。プロテストには32歳という年齢制限があるが、過去の実績を考慮され昨年2月に合格した。

◆男子にとっても見本に
 ボクシングを始めたきっかけは、2人の娘の出産を経て体づくりのためにスポーツクラブに入ったのが最初。「運動はなんでもできると思っていた。でも、人を殴ることはしたくないという気持ちが強かった」と振り返る。

 しかし、次第に殴るのとボクシングは別のものと思い直す。攻撃と防御をうまく絡み合わせるスポーツなんだと意識改革をするようになった。

 長年、練習相手を務める石渡洋介トレーナー(34)は「リーチが長い。猪崎は当たっても、相手は当たらない」と話し、「とにかくまじめで誠実。僕も成長させてもらっています」と話す。同じジムで練習する男子選手にとっても、いい手本になっている。

◆40歳代の人に勇気を
 アスリートにとって、時に大きく立ちはだかる年齢の壁。まして45歳のプロボクサーともなれば、なおさらだ。ジムの花形進会長(62)は「40歳代の人に勇気を与えるのではないか」と期待する。

 「毎日、これが最後になるかもしれないという気持ちで練習している」という猪崎が「集大成」と位置づける今回の世界戦。3000ドル(約27万円)というファイトマネー以上につかむものは大きい。

 帰国するときには46歳になっている。
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最近の主役はやっぱり、女性。おまけに、45歳で世界挑戦。
女子のボクシングの歴史は浅いし、選手層も薄い。

女かよ! と、チョッと変なものを見るような目もあるだろう。
かつては、マラソンもレスリングもそうだったのだが。
先頭を走る者にとっては、後から来るものよりも、喜びも苦しみも多いだろう。
是非がんばってもらいたいものだ。


妻が若い頃、ダイエットのために、ボクシングを取り入れたボクササイズイズというのをやっていた時期がある。
パンチは脇を締めて真っ直ぐ、とか言いなが家でもやっていたときは、こりゃ喧嘩したらまずいな、と思った。
素人でも一定期間練習すれば、なんとなくシャドウボクシングのパンチが「ビュン」という感じに見えたからだ。


石松、具志堅の頃はボクシングの試合もよく放送されて見ていたが、亀田兄弟の盛んなときも含めて、最近はほとんど見たことがなく関心もないが、この猪崎選手のタイトルマッチは期待してみたい。
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テーマ : ボクシング - ジャンル : スポーツ

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DATE: CATEGORY:我が娘・息子へ
オノ・ヨーコ先生 ラブ&ピースの極意説く
朝日新聞 2009年1月10日14時44分
(抜粋)

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 アーティストのオノ・ヨーコさんが学習院女子大で開いた講演会は、若い聴衆の質問に答える形式だったこともあって、さながら「ヨーコ先生の人生相談」の趣。悩める若者たちに「ラブ&ピース」の極意を説いたのだった。


 最初に選んだのは、「『女性』を一言で表すと?」という質問で、「そういうことはあんまり考えないんですね。疑問を持たずに、与えられた時間の中で一生懸命やるだけ」と言い切った。

 意外と古風な面を見せたのが、「なぜ、オノ・ヨーコというカタカナ表記なのか」という問いに対したとき。

「私がアメリカに行った後、日本の方がなぜかそう書くようになった。姓名判断の人が、カタカナの方がずっといいというから、そのままに。やだなと思うことでも、案外いいこともあるんです」

私はいろいろ意地悪をいわれたけど、嫌悪という感情は愛と同じぐらいの強さがあるから、愛に変えようと考えた。何が起きてもこれは何の祝福かな、と


 夫のジョン・レノンについても。「意地悪されても、ジョンが愛してくれた。彼が死んだ後は、息子のショーンのためにも生きなければと考え、寝る前に名前の浮かんだ人を祝福することにしました。嫌なことをした人ばかりだったけど、祝福したら、楽になった

 「私は周囲の人がうらやましくなる」という悩みにも、「一人ひとりのリズムがあるから、私は自分に何ができるかを一生懸命考えてきた。他人にはなれないし、うらやんでも仕方ないんです」と話し、こう続けた。

 「幸せは自分が作るもの。毎日を充実させようとがんばっていると、ヘルプがくる。私はいろんな仕事を与えられ、それができる立場にいることが、非常に幸せ
 
 もちろん、「平和論」は欠かせない。
 「世界平和は、みんなが幸福を追求すれば実現します。だから自分らしく生きればいい。ただ、人を傷つけてはいけません。世界は戦争産業と平和産業の人に別れている。戦争産業の人は何もいわずに目的を実行するから強い。一方、平和産業の人は議論したり批判しあったりで力がまとまらない。互いに尊敬の念を持てば、平和になります」
 
 では、今後のオノさんは? 「人生最後のときを過ごす場所は」「もう一度、生まれ変わったら」という問いにも、再び強くこう答えた。

 「人生の最後なんて、まだ考えてません」「もう一度生まれ変わって、それが私でなくてもいいんです。この人生を一番充実させたいとしか考えていませんから」(大西若人)
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我が娘・息子へ
ちょっとだけ解説します。
「ビートルズ」という、1960年代にイギリスから出たバンドがありました。現代のポピュラー音楽の流れを変えた、ともいわれその人気は「超」をどれほど付けても足らないほどの大変なものでした。そのメンバーのリーダーのジョン・レノンの奥さんがオノ・ヨーコです。

オノ・ヨーコに対して、欧米からは、戦後間もないことや、人種的偏見からの相当のバッシングがあったでしょうし、日本の中でも、さほど美人ともいえない彼女がなんで?といったなんか胡散臭さや、変なものを見るような目もあったような気がします。

ジョン・レノンは1980年、ニューヨークでファンを名乗る男に銃撃され、40歳で亡くなりました。

今日は、そういう人のインタビュー記事です。

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DATE: CATEGORY:写真
寒い。いつになく寒い。

日本海側は大荒れ、また、九州や中国地方でも雪だという。
東京でも雪が降ったとニュースではいっていたが、寒さは厳しいのの、我が家の近辺では雪は降ってない。

景気の悪さも相変わらずで、リストラ、派遣切り、倒産、こんなニュースばかり。

でも季節は、確実に廻ってきている。我が家の蝋梅は年末から咲いているし、近所ではもう梅の花が咲いていた。

もう少しの辛抱。


我が家の蝋梅
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近所の梅
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近所の水仙
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DATE: CATEGORY:我が娘・息子へ
先月、ストックホルムで行われたノーベル賞授賞式に、南部陽一郎博士は欠席された。
その理由は、奥様の体調不良でした。
しかし、そこには、こんな裏話がありました。



日経ビジネスオンライン 2009年1月6日  伊東乾
「講演を共著者に譲った南部博士」

より以下、抜粋。

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 南部陽一郎博士は「妻の体調が悪いので」という理由でノーベル賞授賞式を欠席されました。


 日本の新聞は「当日、シカゴ大学で(元気に)メダルを受け取る南部博士」というニュースを報道したようですが、ストックホルムでは南部博士は「代理」を立てて、別の人に講演をしてもらっています。
 
 その「代理」が今回の南部博士の受賞業績の共著者、イタリアのジョヴァンニ・ヨナ=ラシニオ ローマ・ラ・スペッツィア大学教授であること、そしてそれが持つ意味などは、まだ日本語では伝えられていないように見えます。


 87歳の南部博士は、自分が受賞したノーベル賞の記念講演を自らは辞退し、原論文の共著者で、最終選考まで残った可能性もあるヨナ=ラシニオ教授に、晴れの舞台を譲るという、ノーベル賞史上、前代未聞の「ウルトラC」をやってのけているのです。

 今年のノーベル物理学賞が、スイスでのLHC(大型ハドロン加速器)始動の年に当たりながら、地元欧州のイタリア勢がすべて次点となって、イタリア物理学界が怒りに沸騰していました。


 せっかく新しい実験が軌道に乗ろうという時、世界の素粒子物理学会の和を回復するためにどうしたらよいか。


 南部博士はお考えになり、共著者で50年来の後輩でもあるヨナ=ラシニオ教授に電話かメールをしたに違いありません。そして  「自分は<病気>になるから、君が代わりに壇上に登ってよ」 と言ったのだと思います。

 こうしたことは、今回が初めてではなく、48年前の1960年にもあったのでした。

 「ミッドウエスト・コンフェレンス」という大きな国際物理学会議で、南部博士は自分の「自発的対称性の破れ」の講演を、突然、当時は若い研究助手だったヨナ=ラシニオ教授に委ねます。

 いきなり言われたヨナ君はびっくりしますが、南部博士から「君のやりたいようにやればいいさ」と言われて、前日徹夜で準備し、名だたる大物理学者の並ぶ会場で新しい南部理論を説明しました…という逸話自体が、ノーベル賞講演で披露されました。

 
  「だから今回もそうなったのです」とヨナ教授はユーモアたっぷりに話され、会場は大いに沸きたちます。

 
 賞をもらったとか、もらわなかったとか、そんなことはどうでもいい。ここまでノーベル賞自体を相対化した受賞記念講演は、いまだかつてありません。


 「若い人を代理に立てて大舞台を踏ませる」。実はこれ、人事への応援でもあるのです。大きな舞台で画期的な業績を報告すると、壇上から降りたあと、その報告者に質問が殺到します。

そこから共同研究その他の道が開け、さらに客員研究員として、さらには常勤教授としての人事の声などもかかるようになる。一言でいえばメジャーになる良いチャンスなのです。
 
 南部博士は多くの後輩を育てたことで有名ですが、それはこのような「今度の会議さぁ、ちょっと代わってよ」という、実にさりげない方法で、若い研究者を大きな舞台にデビューさせ、そこでの質疑なども通じて、物理学者としても大きく成長させてきた、稀有の深慮によるものなのです。

  
  しかし、これを考え付いた南部博士も南部博士なら、ノーベル賞の選考から漏れながら、この「たくらみ」を受けたヨナ教授も素晴らしい人だと思います。


2人の共著で書いたのに、財団は「ノーベル賞3人ルール」で南部博士にしか賞を出さなかった。
でもストックホルムにやってきたのは、賞が出なかった方のヨナ教授なのです。

   さらにこの「愉快なイタズラ」の提案を引き受けた方のノーベル財団も大した賢慮です。
普通だったらこういうことはあり得ません。今まで授賞式に出られなかった科学者の代わりに、受賞講演を「賞を逸した共著者」が代行する、などという前例は、たぶん無いと思います。

 この「愉快なイタズラ」のおかげで、沸騰していたイタリア物理学界の怒りはサッと収まり、欧州に限らず、何が起きたか理解している世界の物理屋全員が、南部博士のケタはずれのご器量と賢慮に、これ以上ない尊敬の念をもって、シャッポを脱いだのであります。

  「日本独自の精神性」で世界に誇り得るものがあるなら、謙譲の美徳はその最右翼と言ってよいと思います。

 今は米国籍となられ、すでに国がどうの、というレベルを超えた歴史的大物理学者、南部陽一郎博士が、自ら一歩下がることで、賞を表立って得た人も、そこから漏れた人も、科学者誰もが等しく顕彰されるべき祝典として、「ノーベル賞」という仕掛け全体をひっくり返してしまったのです。

 お茶目で、ユーモアに富み、でも行動としては、一歩自らが引き下がる、というだけで、すべての物理学者にハッピーな気持ちを取り戻させ、しかも直接インタビューなどすれば「いや、単に妻の体調が悪いもので…ね(笑)」と、決してあれこれは語らない。
 
 奥様のご体調が優れないのは本当かもしれません。でも、楽しみにしていたかもしれないストックホルム行き、これを「今回はこういうイタズラにしない?」と奥様も納得させて、ヨナ教授に花を持たせた南部博士「一休さん」ばりのトンチ。

これにはさすがに驚かされました。

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我が娘・息子へ

正月にゴロゴロしながら考えました。
何か残してあげたいけど金も財産も何もない。
そこでいい話を見つけたら、少しずつここに貯めておくことにしました。
いつか、なにかの時に読んでね。

テーマ : しあわせの素 - ジャンル : 心と身体

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DATE: CATEGORY:駅伝
箱根駅伝復路を見に行った。

6区を自宅で見て、10区をまた自宅で見るには、出かけられる範囲は8区後半部か9区の前半部ぐらいまでに限られる。
具体的には、茅ヶ崎から保土ヶ谷くらいの間か。
ということで、今日は戸塚にした。

9時半頃家を出て戸塚駅に10時15分頃到着。
場所がよくわからず、検討をつけて1号線方向に歩いていくと、交通整理のおまわりさんがいた。
どっちに行ったらよいのか尋ねると、「戸塚中継所は近いが混んでおり止めたほうがよい、中継所とは反対側の方がすいている」とのことで、その指示に従い1号線を横浜方面に歩いた。

おー、さすがにすいてる、と思ったのは最初のうちだけで、10時40分頃から人が集まり始め、11時にはビッシリ状態。

場所としては、戸塚中継所から2kほど横浜よりのところ。

神奈川大の旗が立つ。
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いろいろな旗が駅伝に便乗して立てられている。
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11時15分頃東洋大学が1位で通過。

ランナーが早くて、写真を取ってる間がない。おまけに隣の人の小旗が邪魔で写せない。
ということで、以下ひどい写真のオンパレード。

首位、東洋 足が飛んでいるように見える。
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早稲田大学
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日体大
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明治と中央学院
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東農大
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中央、帝京、日大の混戦模様。
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山梨学院とピザ屋のバイクが並走する。
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国士舘
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競う東海と専修。「一般車両がいて危ないから歩道側を走って」と警察からランナーに指示が出た。
一般車両をチャンと規制しろよ、と言いたくなる。
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拓殖。精悍な顔つき。ただし、写真とっているときは顔なんか全くわからない。
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神奈川。(写真失敗)
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亜細亜。
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青山学院。地元神奈川大の次ぐらい声援が多かった。
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上武。今年一発当てたのは上武か。全く無名だったのが、これで全国的に知名度がアップしたことだろう。
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城西。途中棄権については私の付近でも情報が流れていた。声援も暖かかった。
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23大学全て写そうと思っていたのだが、とにかく早くて、目の前をあっという間に走り去ってしまう。
それに、電車はレールの上を走るので場所が決まっているが、ランナーは歩道ぎりぎりだったり、右側車線ぎりぎりだったりと位置は定まらず、また、パトカーや大学の車両がいたり、観客の小旗で視界を塞がれたりと、、、。

おまけに、コンパクトデジカメはシャッターを押してから写るまでに時間がかかる。また記憶するまでにさらに時間がかかる。
ということで、写っていない大学もいくつか出てしまった。
駅伝の写真は難しい。
やっぱり最低でも一眼レフは必要と感じた。

それにしても、わが母校は相変わらずパッとしない。たまには優勝してくれないかな。



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DATE: CATEGORY:写真
本年もよろしくお願いいたします。

我が家の二階ベランダからの今日の初日の出の様子。

6時28分
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6時48分
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6時52分
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6時53分
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6時54分
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6時56分
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6時57分
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6時59分
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