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メイの家

Author:メイの家
横浜市在住


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DATE: CATEGORY:家族
今更の感はあるが、先月は私の誕生日であった。

娘がゴールデンウィークに帰らない代わりに、先月中旬に帰ってきた。

その時に、私に誕生日プレゼントをくれた。

会津木綿 のはぎれで造られたったブックカバーと、しおりであった。

通勤のお供に毎日文庫本を持ち歩いているが、そのブックカバーは大分汚れていて、買い替えようと思っていた矢先であり、実にタイムリーであったので、殊の外嬉しかった。
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一方、妻からはネクタイを二本貰った。

ネクタイもサラリーマンのお供であるが、クールビズの今の時代、ネクタイをするのは12月から4月までの短期間である。

そのためネクタイが傷まなくなり、というより飲み屋で醤油やたれで汚すことが少なくなって廃棄しなくなった。

従って、自分で購入することがほとんどなくなり、妻からもらうだけであってもストック数はかなり多くなった。

おまけに、この先のサラリーマン生活もカウントダウン状態。

ネクタイはこれが最後にしてもらおう。

ということで、最後のネクタイなので大事に使っていくつもりである。
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DATE: CATEGORY:家族
父の具合が思わしくないとの知らせが実家からあり、温泉旅行の予定が入っていたがキャンセルし、3月19日・20日の1泊2日で帰省した。

医師は一時は「もうだめ」と診断したとのことであるが、その後急激に回復したという。




病院での父は、顔色もよく意識もはっきりしていた。

ただ問題は、どういうわけか言葉が不明瞭になってしまい、父が何を言っているのかよく理解できないかったことである。

昨夏に帰省した時はこのようなことはなかったのにどうしたことか。

私は父の病室に三時間以上おり、この間、父は何かと話しかけてきたが、父の言うことをちゃんと理解できたのは少なかった。




私が聞き取れたのは、
今日は土曜日だから来たのかということ、
私の同級生の父が転んで頭を打ち大けがをしたこと、
タンの吸引がつらいこと、
早く家に帰りたいということ、
のみであった。

私が帰ろうとする、父は何かを言うのだが、それが何かよくわからない。

何度聞き直してもよくわからない。

どうしていいのかわからずに戸惑っていると、父は右手を挙げてバイバイをした。

早く帰れということであったらしいが、父のバイバイは初めて見た。


元気にはなっても、今後のことを考えると憂鬱な気分にならざるを得ない。


おまけに天気も曇りですっきりせず。
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翌朝、例によってウォーキング。
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町はますます寂れてきた。
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この早朝ウォーキングが原因かは不明であるが、これまで比較的軽かった花粉症が悪化してしまった。

会津は花粉濃度が濃いのであろうか。

鼻づまりはきつく、目はかゆく、憂鬱はますます募るばかりである。


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DATE: CATEGORY:家族
父の日は、Wikipediaによると国によって異なっているようであるが、日本では六月の第三日曜日である。

今年は、昨日の22日であった。



12日の夜、帰宅した娘から「はい、父の日」と言って、包みを渡された。

「Tシャツだよ、いつも同じもの着ているから」とも言ってくれた。

予想外のことで結構嬉しかった。

袋を開けるとTシャツではなく、アロハシャツが出てきた。
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「何か間違てない?」と聞くと、

「あれ、そうだったけ、でもいいんじゃないの、いつも同じ服なんだから」との答え。

それ以上、突っ込む気にはならなかった。


昨日テレビを見ていた娘は、「あー今日が父の日か」とも言っていた。

これについても、特別余計なことは言わずにおいた。

「どうでもいいや」という感じが濃厚に漂っていた。






下の写真は、母の日に娘が妻に贈った花である。
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母の日の数日後、ラインで「半分お金を出して」と言ってきた。

「わかった」と回答したが、まだ支払っていない。

どういうわけか、催促も無い。

これもどうでもいいのだろう。


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DATE: CATEGORY:家族
今朝も蜂の巣退治を行った。

蜂も何度やられても巣を作り直し、しつこいものである。

せめて、別の場所に作ってもらいたいところであるが、なかなか学習してくれない。

我が家の庭にはよほど何かいいことがあるらしい。

今回ひとつ感心したのは、一匹の蜂が枝に掴ったまま死んでいたことである。

弁慶の大往生を思わせ、なかなかあっぱれであった。

写真でお見せしたかったが、残念ながらうまく撮影できなかった。
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蜂の巣退治で、ひとつ思い出したことがある。

娘が小2か小3の頃の話である。

ある日、娘のクラスに一人の女の子が転校してきた。

なんでも、両親が離婚し、母親とともに母の実家に住むことになったとのことであった。

娘とその女の子は直ぐに仲良くなり、度々我が家にも来るようになり、また、その子の家にも遊びに行くようになった。




そのうち妻は、その子の祖父の噂を聞いてきた。

何でも、いわゆる「その筋の人」で「親分」とも呼ばれている人で、最近の言葉で言えば反社会的勢力と言われているような人だと。


ある日、その子とその祖父がデパートに買い物に行ったところ、はぐれてしまった。

「孫娘に何かあったら、こんな店潰してしまうぞ」と店員に凄み、そしてそのおじいちゃんは慌てて携帯でどこかに電話したらしい。

すると、「いかにも」といった感じの強面の怖そうな若い衆が十人ほどやってきて、デパート内を隈なく探し始めた。

もうデパート内は騒然とした状態。

客はみな怯え店の外へそそくさと逃げ出した。

結局は、直ぐに女の子は見つかって何事もなかった。





そんな話を聞き込んできた直後のこと。

放課後、その子が我が家にやってきて、娘と庭で遊んでいた。

その時、庭の窓の外側に小さな蜂の巣を発見した。

蜂は子供たちの周辺を威嚇しながら飛び回った。

万が一その子が刺されでもしたら大変なことになると、妻は気が気ではなかった。

何せデパートの迷子でさえあの騒ぎであり、蜂に刺されでもしたらタダでは済まないだろうと。

やむなく妻は手近かにあったゴキブリ退治のスプレーで、懸命に蜂の巣を駆除した。



その時の様子を私は見てはいないが、必死の形相だったろうな、と思うと少し可笑しくなる。

妻は娘に、あの子と遊ぶときはうちに連れてこないで、とよく言っていたが、娘にはあまり効果がなかったようである。




その子は、小学校高学年になるとお母さんの再婚に伴って、遠隔地へ転校していった。

その後も娘は文通をしていたが、中学生になった頃から途絶えたようである。



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DATE: CATEGORY:家族
今に始まったことではないが、この春休み期間中息子はゲーム三昧であった。

ゲームは、アフガンだったりイラクだったり、或いは第二次世界大戦の硫黄島だったりと、場所と時代は異なってもいずれも戦争のゲームである。

インターネットに繋ぎ、「俺はこっちから攻めるからお前はこっちから行け」などと友達としゃべりながらやっている。



ゲームの中ではあるが、銃で撃たれた敵兵は、悲鳴を上げ血を流して死んでいく。


私はある時その画面を見て、「結構リアルで残酷だなあ」と思わずつぶやいた。

息子は「これはゲームだよ」と言いつつ、いたく不満そうであった。





その翌日だったか、私はyotubeで昔懐かしい昭和のプロレスを見ていた。


その画面を見て息子が言った。

「よく人に残酷なんて言うよな。これはひどいよ。」

「こっちの方がよっぽと残酷じゃんよ。」

「これって生きている人間だよ、俺はゲームだけどこれは生きている人だよ。」

「よく笑いながら見てられるよ。こんなの見たくないよ。」




私の見ていたのは、蹴られ殴られ「ヒー」だか「キー」だかと悲鳴を上げ、ギザギザの額から流血しているアブドーラ・ザ・ブッチャー。

そして靴に隠していたフォークを取り出しテリー・ファンクの腕に突き刺す。

狂乱状態になったテリー・ファンクは、リングの内外をのた打ちまわる。


昭和50年代前半の全日本フロレス最盛期の頃の試合であった。



言われてみれば、こんなのは今のテレビでは放送できないかもしれない。

でもこれも「ゲーム」と言えば言えなくもないんだけれども。

どっちが残酷だと言われれば、確かに息子の言うとおりだ。


ただ、なんかモヤモヤしたものが残り、それが何だかよくわからない。

やっぱり時代が違うということなんだろうか。

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