稀勢の里が引退した。
あの成績ではやむを得ないところ。
私は、特に若い頃の稀勢の里は、ふてぶてしい面構えが北の海に似ていると思っていた。
ところがそのふてぶてしさが消えて、ちょっと落ち着きのないバタバタした相撲になっていた。
あまり記憶はないが、北の湖も引退直前は、そんな感じであったような気もする。
勝てないということは、自信を失わせてしまうのだろう。
稀勢の里が横綱になったきっかけは、「菊の狂い咲き」と言われた琴奨菊の優勝がある。
それまで、日本人の優勝が長いことなかったし、もはや日本人力士では優勝できないという雰囲気があったのをうち破った功績は大きい。
その後に豪栄道、そして稀勢の里と続いた。
琴奨菊の優勝は「日本出身力士10年ぶり」という見出しで報道された。
この間、旭天鵬が優勝していたのだが、既に日本国籍は取得していたもののモンゴル出身ということで、「日本出身力士」という厳密な言葉が用いられることとなったようだ。
この琴奨菊優勝騒ぎの時、旭天鵬がインタビューされて「俺も日本人なんだけど」と答えて笑い取った。
それで、稀勢の里にもその「日本出身」という余計なプレッシャーがあったのではないかと思う。
モンゴル勢に勝たないといけない、モンゴル勢にはない品格を持たなければならない等と。
それが怪我を押しての出場になり、力士としての寿命を縮めたのではないかと思う。
マスコミは大坂なおみを日本人として扱っているが、それは国籍を基準としているよりは、日本人の血が入っていること、いわば「血統」を基準としているからなのだろうか。
と、いうよりも、相撲界特有の、というより相撲という国技を見ている観客、或いは相撲マスコミ特有の、「日本」へのこだわりなのだろうか。
確かに、他のスポーツでは、「日本出身選手」という言葉は聞かない。
「いや、相撲はスポーツではない」という人もいて、これを論ずるとまた長くなるので省略。
私がファンの鶴竜は帰化申請中で、もう直ぐ日本国籍を取得するらしい。
白鵬も帰化するという報道もある。
相撲界も「日本出身」なんていうことに、拘らなくてもいいんじゃないかと思う。
それよりも、個々の力士の相撲の内容である。
単なる勝ち負けではなく、「ああ面白かった、力が入った」という相撲がみたい。
相撲界の今後の繁栄を考えれば、そっち方が重要だと思うのだが。
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